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山崎 史良副会長(昭和42年卒)さんの発起により平成30年5月20日(日曜日)三輪山周辺のハイキングを実施いたしました。
JR桜井線 三輪山駅に11時30分集合、16時解散の予定にて実施されました。天気も大変よくすがすがしい中、前島 美千枝会長(昭和45年卒)を含む9名の方々が各自弁当持参で参加されました。
引率役(講師)として、築島 俊考(昭和42年卒:名張市在住)さんが、その場所場所にて詳しく説明なされました。特に一般の参拝者では観ることが出来ない大神神社の裏側にある「三つ鳥居}を宮司さんの案内で見学することが出来また説明をなされてくれました。神社の休憩所で皆一緒に各自が持参した弁当を開きました。
日本書紀にその名が残る「山の辺の道」沿いに、関ヶ原の戦いの最中薩摩藩士立ち寄ったとされる平等院~桧原神社~景行天皇陵~解散場所である巻向駅まで予定通りの時間で散策しました。無人である巻向駅で電車の待ち時間で一緒になった「老夫婦」との話で我々以上に万歩計が多いとの話を聞き感服いたしました。もっと頑張らなくちゃと思いました。
次回は紅葉の時期(11月頃に)山崎副会長さんがイベントを考えておられますので関西安陵会員の親睦を深めたいと思いますので多くの参加をお待ちしております。
投稿:広報部 昭和42年卒 ー 久野 正和 ー
※ このイベントに参加するにあたって
私自身「万葉集」に少し興味があって犬養 孝先生著の「万葉の旅・上巻」を持って17㎞ある桜井駅から天理駅まで季節季節の「山の辺の道」を、また万葉歌碑を確認しながら一人で何度も歩いたものでした。
「三輪山を しかも隠すか 雲だにも 心あらなも 隠さふべしや」(万葉集巻 1-18 作者:額田王)。今から約1350年前 額田王(ぬかたのおおきみ)が天智天皇代の住み慣れた明日香の宮から近江の宮に遷るとき(近江遷都)この山の辺の道の途中、三輪山を懐かしみ振り向いて詠まれた歌(山上 憶良の類聚歌林による)との前知識をもってこの「山の辺の道」から古代の雰囲気を感じながら、同じ「三輪山」を眺めたものでした。今はこの道を一人で歩くことはあまりありませんが、「明日香村稲渕の棚田の彼岸花➡飛鳥川の飛び石」の撮影は毎年行っています。
万葉集4,540歌の中で二番目に好きな歌。
「明日香川 瀬々に玉藻 生ひたれど しがらみあれば 靡きあわなくに」(万葉集巻7-1384 作者:未詳)
一番好きな歌 万葉集最後の歌巻20-4540 「大伴 家持」作の歌です。