元気な高齢者として生きる 39年卒(14回卒) 栄俊彦
「なつかしい安陵の皆さん、会えてうれしい」と、いつものソフトな栄節での挨拶。
2024年10月17日、14回卒の全国同窓会が開催され、卒業生約300名中、今回の参加者は76名と少なく寂しく、二次会はなく両隣の同窓生と屋仁川(やんご)で三人だけではあるが、大高時代の同窓生と会えること、皆と会えることに感謝しながら話込んだ。
栄顧問はあやまる岬の次のシマ須野出身、来年の1月に傘寿を迎える。子供時代は牛の餌用草刈り、雀をはらう、海では魚や漁獲、秋は山で薪を切るなど家の手伝い。切った薪はバラバラにならないように竹の皮で縛る等を学び過ごした。笠利小学校、笠利中学校そして大高へ進学。昭和38年2月3日神戸港で初めて雪をみた。卒業式は父が代理で出席したので、卒後50年目の卒業式に参列は感動した。卒業後、夜は専門学校で学び、昭和39年9月からは大阪市公務員として勤務。そのころの大阪は、朝は真っ黒のスモック注意報の日々の大阪市清掃局の焼却事務所配属された。今でも、プラスチックのゴミ、服の廃棄など環境問題は気になる。都市開発の事務所では区画整理と戦後の大阪市の街を整理。奈良時代から明治時代の道路は港に抜ける設計、川があれば橋を掛け、線路があれば地下に巡らすなど戦争のために作られていた。また、踏切はガソリン消費率で設置の優先を決める、国鉄民営化の苦労した話など、実際に仕事に携わった裏話や実話。多くの職場に配属されるが、常に未知の分野であるので「何もわからないので、何でも教えて下さい」と先輩達に頭を下げ、素直に取り入れ、困難な仕事を根気よく遂行。国や民間に挟まれても仕事がうまくいったのは、先輩の物腰の低さ、忍耐強さそして話し方ではと私達は学んだ。
○郷友会について:関西奄美会は復帰運動に携わっていたが会則がなく、その作成メンバーに加わる。また、近畿笠利会の会長も歴任する。
○安陵会については、関西安陵会設立以降、20・21代会長を歴任と永く安陵会に携わっている。安陵会の龍野定一先生の厳訓無処罰の教育理念や大高の校訓「和親・共同・自治・奉仕」の教えは、今の乱れた社会にこそ活かすべきと考える。龍野先生の教えをもう一度想いだしてほしいと熱望。また、会を通して新しい仲間ができる喜び。最近は[あけごころ]にも参加、楽しい時間を過ごしている。
分責:前島美千枝